11 わたのはら 八十島やそしまかけて でぬとひとにはつげよ あまのぶね 参議篁さんぎたかむら

現代語訳

大海原にはたくさんの島々が浮かんでいます。私は流人島るにんじまを目指して船をこぎ出していったと、都の人に伝えておくれ。釣り舟の漁師たちよ。

超訳(現代風語訳)

ちょっと島流しされてくる。…べ、別に心細くなんてないんだからッ。

解説

この歌は、作者の参議篁さんぎたかむらが流刑地の隠岐の島へ出発するとき、親しい人に向けて作った歌です。

篁は遣唐使(留学生)のひとりに任命され、二度、中国の唐に向かいましたが、二度とも船が壊れて日本に戻ることに。三度目に唐へ渡ることを命じられたとき、篁は船にあてがわれたのは破損した船。これに怒った篁は船に乗らなかったため、嵯峨上皇さがじょうこうの怒りにふれ、島根県にある隠岐の島へ島流しの刑に処されました。

処罰を受けて都を離れ、見知らぬ土地に向かうのですから、篁はさぞ心細かったことでしょう。しかし、この歌ではさみしさやつらさを強調せず、むしろ「私は元気に船出していくよ」という気骨ある気持ちでこの歌を作りました。

ちなみに「わたの原」とは大海原のことです。「八十」とは数の多いことを指す表現で「八十島」はたくさんの島々という意味になります。

裏話

三度目に唐へ渡ることを命じられたとき、篁は船にあてがわれたのは破損した船でした。破損した船があてがわれたのは、その裏に政界の駆け引きもあったのでしょう。

隠岐の島へ島流しとなった篁はその後どうなったかというと、島流しになった2年後、許されて都へ帰ります。そしてその後は順調に出世して、参議(閣僚クラス)にまで進みました。

参議篁さんぎたかむら(802~852)

本名は小野篁おのたかむら(参議は官名)。平安時代初期の漢詩人で、また和歌にもすぐれていました。隠岐の島へ流されますが、数年後に都に戻り、その後順調に出世しました。