12 あまかぜ くものかよ きととめの姿すがた しばしとど 僧正遍昭そうじょうへんじょう

現代語訳

空を吹く風よ、雲のなかの通り道をふき閉ざしておくれ。天へ帰る美しい少女たちの姿をもうしばらく地上にとどめておきたいから。

超訳(現代風語訳)

ダンスを踊っている女の子が可愛い。…断じてセクハラではない。

解説

この歌は、収穫を祝う儀式で披露された「五節の舞ごせちのまいを踊る少女の姿をみて、「舞を踊る少女たちはなんと美しいのだろう」という気持ちで詠んだ歌です。

宮中で毎年冬に行われる収穫を祝う儀式に「豊明の節会とよあかりのせちえ」というものがありました。この儀式では「五節の舞」という踊りが披露されるのが習わしで、貴族の家に生まれた未婚の少女が、毎年4~5名ほど選ばれて舞を踊ります。

この舞を見て感動した作者の僧正遍昭そうじょうへんじょうは、踊る娘たちを天女に例えました。

当時、天女は雲のなかにある通り道(雲のかよひ路)を通って、天と地を行き来すると考えられていました。僧正遍昭はそれをふまえて天女の通り道を閉ざして欲しい、と風に願っているのです。

また、宮中は尊い人がいるので「雲の上」といい、身分の高い人のことを「雲の上びと」といったりしました。「天つ風」と表現したのも、舞が披露されているのが場所が宮中だからです。

裏話

作者の僧正遍昭そうじょうへんじょうが出家する前、まだ良岑宗貞よしみねのむねさだとして俗世にいたころ。

宗貞は明るくて人なつっこく、美しい青年でいわゆる人気者でした。ときの帝、仁明天皇にんみょうてんのうにもたいそう愛されたようです。

しかし、仁明天皇がお隠れになると、宗貞はふっと姿を消してしまいました。家族や友人は手分けして探しましたが行方は知れず、世間では世をはかなんで人知れず死んだのかもしれないと噂しました。

宗貞の妻は長谷寺はせでらへお参りし、泣く泣く仏様に祈っているとき、偶然にも隣の部屋に今はお坊さんになった宗貞がいたのです。

宗貞は「自分はここにいる」と伝えようとしましたが、もしそうすれば出家の決心は揺らぐだろうと思い、歯を食いしばってたえ、そっと姿を隠したそうです。

その後、宗貞は修業のかいもあり、僧の階級のなかで一番高い「僧正そうじょう」という位につき、立派な僧になりました。

僧正遍昭そうじょうへんじょう(816~890)

俗名は良岑宗貞よしみねのむねさだ仁明天皇にんみょうてんのうに仕えましたが、天皇が亡くなったことを悲しんで僧になりました。三十六歌仙さんじゅうろっかせんのひとり。