13 筑波嶺つくばねの みねよりつる みなのがわこいぞつもりて ふちとなりぬる 陽成院ようぜいいん

現代語訳

筑波山つくばやまの山頂から流れ落ちる水があつまって男女川みなのがわとなるように、私の恋心もしだいにつのって、いつかふちのように深くなってしまいました。

超訳(現代風語訳)

好き好き好き好き愛してる

解説

この歌は、恋する相手を想う気持ちを筑波山の情景に重ね「初めはほのかだった恋心も、今ではこんなにも深く激しいものになった」という気持ちで詠んだ歌です。

恋する気持ちが次第に激しくなっていくのを、山から流れ落ちる川の様子に例えています。川の始まりは、山のいただきから湧き出るせせらぎです。最初は細かった川も、次第に水かさを増して、深く太い流れになります。その様子がまるで、自分の恋心のようだと詠んでいるのです。

そして「筑波山」という言葉は恋を連想させる歌枕うたまくらです。

歌枕とは、古くから歌に詠まれている土地や名所のことです。「この地名といえば〇〇だな」というように、歌枕は決まった情景を連想させます。

筑波山の場合、「峰」「東国」「恋」などを連想させます。

筑波山は茨城県にある山で、山頂が男体山なんたいさん女体山にょたいさんの2つの嶺に分かれています。その両方の嶺から流れ出る水が合流して、男女川みなのがわになります。

そして、筑波山は「歌垣うたがき」という行事が古代から行われることで有名でした。

歌垣とは、結婚していない男女が集まり、歌ったり踊ったりする行事のことです。男女は思いを寄せる相手に恋の歌を送り合い求婚しました。

裏話

作者の陽成院ようぜいいんはいろいろと黒いやんちゃな噂のあるお方でした。

表向きは病気ために退位したとされますが、実はある事件に関わっているとかいないとかで退位「させられた」とか。

政治的な駆け引きなどではっきりとした真偽はわかりませんが、この歌が詠われたのは若い頃。后となられる姫君にささげられたものです。

…若いといっても、17歳で退位されていますが…。

陽成院ようぜいいん(868~949)

第57代天皇。清和天皇せいわてんのうの皇子。元良親王もとよししんのうの父。17歳で病気のために退位し、上皇となりました。