08 わがいおは みやこのたつみ しかぞをうやまと ひとはいなり 喜撰法師きせんほうし

現代語訳

私の家は都のたつみ(東南)にある、宇治山。鹿のいるところですが、心安らかに暮らしています。なのに人々は、私が世のなかを辛いと思って宇治山に隠れ住んでいると、うわさをしているようです。

超訳(現代風語訳)

好きで山にこもってるんだから、ほっといて。

解説

この歌は、出家して京都の宇治山で暮らすしている作者の喜撰法師きせんほうしが、「他人は不思議に思うようだが、私はおだやかな山の暮らしを楽しんでいる」という気持ちを表現した歌です。

突然出家した喜撰法師について、周りの人々は「きっと失恋などつらいことがあったから宇治にこもっているのだろう」と様々な噂をしたようです。

噂を耳にした喜撰法師は、噂を否定し、かつ山に住む清々し気持ちをこの歌に込めて、世間の噂の返事としました。

ちなみにこの歌には2つの手法が折り込まれています。

ひとつめは、「しかぞすむ」という言葉には「鹿ぞすむ」と「しかぞすむ」(このように住んでいます)の意味がかけられています。

もうひとつは縁語えんごといって、「うじ山」の「うじ」には地名の「宇治」とつらさを表す「憂し」という言葉をかけています。

この歌は、軽いしゃれことばの面白さを味わう歌でもあるんですね。

裏話

「宇治山」は京都府宇治市の東にある山です。歌にでてくる「たつみ」とは東南の方角を示し、宇治山は都からみて東南の方角にあります。

当時、宇治は世間から離れた静かな行楽地として、古くから人気が高かった場所です。平安時代には貴族の別荘も多く建てられました。

宇治山はこの歌を由来にし「喜撰山きせんやまとよばれています。

喜撰法師きせんほうし(?~?)

宇治山に住んでいた伝説的な僧であるというほか、詳しいことはわかっていません。

歌はこの一首しか伝わっていないのにもかかわらず、平安時時代初期の歌の名人として「六歌仙ろっかせん」のひとりに選ばれています。